2009-02-01から1ヶ月間の記事一覧

--1987年12月2日-- ラジオを聴く

この頃、ラジオを聴くことが多くなった。特に理由はないと思っていたが…。 ダイアルを合わせるのはソフト・ヴォーカルを聴かせてくれる局が多い。これも何故ということはない。 音量はあまり大きくしない。静かに耳に流れ込んでくる音楽を聴くとはなしに楽し…

--1987年11月25日--  自由律俳句を鑑賞する

=加州毎日新聞(1931年〜1992年 ロサンジェルス)から= − 自由律俳句という文芸の一分野がある。人によっては<口語俳句>または<一行詩>とも呼ぶ。山頭火、井泉水というこの分野の先達の名は、すでに日本文学史に列せられてもいる。 自由律俳句…

--1987年11月13日-- 言語明瞭・意味不明

=「時事往来」は加州毎日新聞(1931年〜1992年 ロサンジェルス)のメインコラムでした= + 日本のテレビ番組でこんなジョークを聞いたことがある。それも一度ではなかったから、一部の芸能人の間では<内受けのする>ネタだったかもしれない。 口…

--1987年11月5日-- 日米摩擦新時代

1)四月−ハワイ/オアフ島の山林(ゴルフ場用地)=二〇億円(一三八〇万ドル) 2)六月−西独ボン郊外のギムニッヒ城=三〇億円(二〇七〇万ドル) 3)七月−ラスヴェガスのカシノつきホテル/デューンズ=二三七億円(一億五八六〇万ドル) 4)八月−サルバ…

--1987年10月28日-- 父の腕時計

人の価値観というのは傍からはどうも判じにくい。この世にはそれこそ<人の数だけ>価値観があるようだ。 それにしても、腕時計に関する限り、父の価値観はずいぶん控え目だったような気がする。 長年の念願が叶って父がオメガの腕時計を手に入れたのはたし…

--1987年10月14日-- 情報時差を愉しむ

「加州毎日新聞」(California Daily News) 1932年〜1992年 + 友人の仕事を手伝うために半年ほどマニラに滞在したことがある。テレビの日本語放送があるわけではないし、日本の情報はもっぱら<読む>ことで手に入れたものだ。 その中心はやはり新…

--1987年9月23日-- 長い雨宿り

「加州毎日新聞」(California Daily News) 1932年〜1992年 + 数年前に数日間シンガポールに滞在したことがある。 ずいぶん雨に降られたような気がいまでもするのは、単に、筆者が南国のスコールの降り方に馴染んでいなかったせいかもしれない。 …

--1987年9月15日-- 嫌煙、禁煙、そして棄煙

「彼、彼女に限ってはこれこれのことは起こるまい、あり得まい」と思うことがある。 たとえば、傍目にはこんな仲睦まじい夫婦はほかにはあるまいと見える男女がいる。こんなに真正直な男はまれだと言われる人がいる。−−ところが、その夫婦がある日突然に離婚…

--1987年8月29日-- 秋−旅情、友情、物語り

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= + 生まれ育った国、あるいは少し住み慣れた国を離れ、見知らぬ土地を旅するのは楽しいものだ。そこに一人の友人でもいれば、楽しさはまた一段と大きくなるに違いな…

--1987年8月28日-- 貧困からの長い道のり

一九八四年八月。あのときマニラはすでに雨季にはいっていた。少し激しい降りになると、市内のいたるところに深い水たまりができた。マビニ通のその交差点もいつものように水浸しだった。 市民の足である乗り合いジープ−ジープニー−やタクシーが水たまりの中…

--1987年8月18日-- 保護観察処分

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= + 毎日、新聞を読む。毎日、いくつもの事件を知る。 南カリフォルニアに住む者ならこの頃、フリーウェイ発砲事件の記事が目に入らない日はない。六月十八日に最初の…

--1987年 7月30日-- プロレス雑感  

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= + もう二十年以上も前に死んだ祖母が一番好きだったテレビ番組は、「お笑い三人組」でも、もちろん「シャボン玉ホリデイ」でもなかった。その番組が放映される夜だ…