2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

--1988年6月8日-- スワップミート

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * 風の強い週末に、フリーウェイ一五を下ってサンディエゴまでのドライブを楽しんだ。 アナハイムでサンタアナ・フリーウェイ(五)からリバーサイド・フリーウェイ…

--1988年6月3日-- 日本語を教える

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * 戦後何度目かの“日本語ブーム”だそうだ。 だが、今度のブームはこれまでのものとは少し様子が違うらしい。従来のもののように、外国語と比較して上で日本人が日本…

--1988年5月26日-- 米ソ比較図表

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * 二十五日の<USAトゥデイ>紙におもしろい米ソ比較図表が掲載されていた。 同紙の説明はこうだ。 レーガン大統領がモスクワに着いてから見るものは、変わりつ…

--1988年5月25日-- “人種差別”感覚

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * 時の流れが速いからというばかりではなく、様々な分野で事件が多発するせいもあってか、これはすでに旧聞に属する観さえあるが、朝日新聞のワシントン特派員が先…

--1988年5月19日-- “やっぱり”文化論

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * 雑誌は仕方がない。だが、学生時代からこれまでを振り返ってみても、本を捨てたという記憶はない。また、たぶん幸いなことに、一度買い求め、読み終えた本を古本…

--1988年5月13日-- “型”の国から

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * 子供の頃のある時期、夕暮れ時になると決まって、胸が締めつけられるような奇妙な感覚に捉えられたことがあった。それがいったいどれぐらいの期間にわたっていた…

--1988年5月6日-- 拒否権発動の事情

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * <一九八八年包括貿易・競争力法案>いわゆる包括貿易法案は先月二十七日、米上院本会議を通過、レーガン大統領の署名を求めホワイトハウスに送付された。 宇野外…

--1988年5月3日-- 包括貿易法案

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * 米国の巨大な貿易赤字と国際競争力の低下に対応する目的で一九八七年初め、下院、上院、政府はそれぞれ貿易法案を作成した。 下院案は、日本などの対米過剰貿易黒…

--1988年4月26日-- 立ち退き補償

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= + 米上院本会議は二十日、賛成六九、反対二七の大差で、いわゆる日系人戦時立ち退き補償法案を可決した。上院案とほぼ同様の法案がすでに昨年九月に下院を通過して…

--1988年4月22日-- 眠り下手

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= + ますます眠りが下手になってきている。 寝つきだけはまだ悪くないことを頼りに、体の底に少しずつ蓄積していっていりはずの睡眠不足はとりあえずは気にしないこと…

--1988年4月18日-- 対ギャング戦争

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= + 先週ランチョパーク・ゴルフコースで行われた(岡本綾子も出場した)全米女子プロゴルフ協会(LPGA)のトーナメントを取材するためにロサンジェルスを訪れて…

--1988年4月15日-- 日米貿易摩擦小史

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= + 日本と米国とのあいだにいわゆる貿易摩擦というものが生じたのは一九六〇年代後半のことだ。“戦後”経済の復興に努めてきた日本が最初に米国と衝突したのは繊維の…

--1988年4月7日-- 東芝機械事件

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * 米国が日本政府に対して、東芝の子会社である東芝機械がココムに違反してソ連へ金属工作機械を不正に輸出していた、と告げたのは一九八六年六月だった。 仲介商社…

--1988年4月5日-- 野球文化人類学

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * 「<やけに防衛本能が強い国だ>と日本の悪口を言った人がいる。自由貿易主義を賛美する経済学者、ミルトン・フリードマン博士だ」と書いた人がいる。日米プロ野…

--1988年3月31日-- 原っぱ野球少年

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * 小学校の高学年から中学校の二年生までは、大変な野球少年だった。それも、草野球とさえ呼ぶに値しない、文字通りの“原っぱ”野球に熱中していた。 もちろん、指導…

--1988年3月28日-- 情報、日本発世界行き

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * 三月のある日、エレーナという名の一人のフィリピン人“歌手”が成田国際空港から、いささか打ちひしがれてマニラに向け飛び立っていった。エレーナは東京都内のク…

--1988年3月23日-- バランス政治

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * 連邦大陪審は十六日、ウォルシュ特別検察官の告発に基づき、<イラン・コントラ事件>で中心的な役割を果たしたとされるオリヴァー・ノース元国家安全保障会議(…

--1988年3月15日-- <読みかえ>文化

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= + 古田武彦という歴史学者がいる。日本の古代史が専門だ。元高校教師で、どこかの大学で歴史を専攻し、のちに研究室に残り、助手、助教授、教授と、研究一筋にやっ…

--1988年3月9日-- 富士川昇一座

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= + あえて<昭和>を使って語る方が時代の雰囲気がよく伝わりそうな気がする。−実際、いまから三十年ほど前の日本は、あの大戦から十余年。明治、大正と受け継がれて…

--1988年3月4日-- 敬遠策の論理

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= + 池井優著「プロ野球外人選手列伝/ハロー・スタンカ、元気かい」(創隆社)を読んだ。 “事件”が起こったのは一九六五年、夏八月。舞台は−とうに取り壊されて消え…

--1988年3月1日--  米国のいらだち

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * 心配していたとおり、というべきだろう、日本の公共事業市場開放問題をめぐって、日本に対する米国のいらだちが大きくなってきている。 今度のいらだちは、本紙二…

--1988年2月23日-- ゴールデンステイト・フリーウェイ

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= * レンゲの野があった。菜の花が咲き乱れる斜面があった。 広大な牧草地と牧場がどこまでもつづき、牛や馬、羊の群れが、丘の頂、小さな谷底であふれる陽光を浴びな…

--1988年2月10日-- 戯作者 恋川春町

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= + 江戸時代の戯作者、恋川春町については実はあまり知られていないという。 作家、井上ひさしの<戯作者銘々伝>を参考に、“知られている”部分を先に紹介すると−。 …

--1988年2月2日--  デンキ・スタンド

=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= 英語を学びに日本から来て間もない年若い友人がいる。少し前に車を買ったところだが、先日会ったら、これから<ギャス>を入れに行くところだという。ほう、早くも<…

--1988年1月26日-- 潮の匂い

今年二度目の祝日だった十八日、南カリフォルニアの空は遠く深く澄みわたっていた。なごりの風がまだ強く吹いてはいたが、冬の嵐に襲われた前日とはうって変わり、どこも透き通る太陽の光に包まれていた。 昼下がり、マリブの少し西の小さな浜でほんのひとと…

--1988年1月20日--  首相訪米

一月十五日の<USAトゥデー>紙にこんな見出しの記事があった。 <対日“報復”論に熱気> 竹下首相がレーガン大統領との初の日米首脳会談を終え、次の訪問国カナダに着いたばかりという頃に、全米最大の発行部数を誇るこの新聞は一面にこう書いていた。 竹…

--1988年1月12日--  先入観

日本人の自動車整備士Sさんと初めて一緒に食事にでかけた。去年のうちから誘われていたが、時間も気分のゆとりもないまま年を越し、やっと実現したものだ。 先入観を持つなというのはたぶん無理な注文だ。人が何かに、だれかに触れれば、そこから感じ取るも…

--1988年1月4日-- 内なるフロンティア

不意に「砂漠が見たい」という気持ちになったとき、頭の中の地図には、遠くてもインディオ辺りを思い浮かべていた。ラスヴェガスへの道を除けば、東はサンバナディーノまでしか知らなかった身には、地図の上のインディオは、その時間から出かけるところとし…

--1987年12月22日-- ニュース写真

十八日の<ロサンジェルス・タイムズ>でソ連の中距離核ミサイルSS20の写真を見た。米ソ首脳会談の際のあふれるような報道合戦のあとでは特に珍しくもない写真だったが、それに付されていた見出しに目をとめてしまった。 <プラウダ>紙、SS20の“別…

--1987年12月15日--  十二月の風邪

十二月になると毎年決まって風邪をひく。日本にいてもカリフォルニアにいても同じだ。 今年の風邪のひき方が例年よりも早かったのは、たぶん、十一月の長雨のせいだ。たっぷり二週間は降りつづいたのだから。 十月初旬の異常な暑さで疲れの残った体に、しっ…