--1990年5月4日-- 米国経済の底力     -195-

  =加州毎日新聞(California Daily News)は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です=

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  経済学者には同意してもらえないかもしれないが、米国経済の底力の低下はすでに一九八〇年の段階で明らかになっていたと思う。
  イランで<ホメイニ師支持学生団>が米国大使館を占拠して、米外交官五十二人を人質にとり、先の<イラン革命>の騒ぎの中で国外に脱出していたパーレビ元国王の引渡しを要求したのは、一九七九年十一月四日だった。
  大使館占拠のニュースはリバーサイド市で聞いた。事件の数日後、UCリバーサイドの学生だった若い米国人が、カーター大統領の無策ぶりをひどく憤っていたことを覚えている。
  そのカーター大統領が翌八〇年四月、人質救出のための軍事作戦を断行した。長期にわたって多くの米国人外交官が不法に拘束されている状況に対する不満が国民のあいだに高まっていたのだから、確実な成功を期して、準備は周到を極めていたに違いなかった。
  だが、この作戦は失敗した。出動したヘリコプターが砂漠の真ん中で、交戦前に墜落してしまったのだった。
  「米国では軍事作戦を遂行する前に軍用ヘリの整備をやっていないのか」
  「実戦でまともに飛べないヘリを製造したのはいったいだれだ」
  周囲からそんな声が聞こえてきたものだった。
  カリフォルニアを走る自動車の二五%が日本車になってしまった―などと言われだした頃だ。「実戦中のヘリの墜落で、製品・品質管理の面では最もモラルが高いはずの軍・軍需産業の実態がどの程度のものかがよく分かった。消費者製品の製造現場のモラルは押して知るべしだ」と言った友人もいた。

  日米構造問題協議で米側が日本から大きな譲歩を勝ち取ったところで、日本の経済的効率と競争力を一層向上させるだけだ―との考えが、例えば、経済誌エコノミスト』の英国人ビジネス編集長ビル・エモット氏のような“第三者”だけでなく、米国側にも広がってきている。
  日米交渉で米側が要求している日本の経済構造の改革は、今後の経済展開を見通すのなら、むしろ、日本が自ら実施すべきことだという意見もよく聞かれるようになっている。交渉で日本政府代表が必死で護ろうとしている国内制度は、実は日本の経済発展を妨げるものであり、一部業界やその利益を代弁している、いわゆる<族>議員、業界を指導監督する立場にある官僚を除けば、日本人のだれをも利していない―というものだ。この考えの論者たちは「こうした旧態依然とした制度がなくなれば、日本経済はさらに強くなるはずだ」と主張している。

  ジョン・ホプキンス大学のナサニエル・セイヤー教授は『週刊朝日』とのインタビューで、構造問題協議の焦点の一つだった<大規模小売店舗法>改正問題に触れて「あれ、米国には全く関係のないことですよ。日本の法律が廃止されても、米国企業は進出できない。駅前の土地を買うおカネがないんだから」と語っている。
  「日本の市場が完全に開放されたとして、何か売り込むものを米国は持っているのか」というような米国側の反省も新聞紙上でときどき見るようになった。

  通信社『ロイター』は先月二十四日、米国市場で消費者の米国車離れが起きていると報じた。米国車が販売不振に陥っているにもかかわらず、日本車の販売が好調を持続していることについて、専門家は「輸入車並の品質と性能を米国産車も持てるとは信じない消費者が増えている」と考え始めているのだという。

  良質で競争力のある製品をどうしたら製造することができるか―。政府関係者や議員だけではなく、米国のすべての産業の企業経営者、投資家、労働者が真剣に考えるときにきている。米国経済の底力を過信しているだけでは何も改善されない。